小説置き場(宏成:名古屋)

『ヲタクに恋は難しい』宏嵩×成海 激推し小説書いてます

この子は俺の彼女

成海のステルス機能には脱帽するし、一見大人しそうに見えるのに、話すと人あたりの良さがすぐに滲み出る。多趣味が高じて色んな人と話すことに抵抗が少なく、話題も豊富に持っている。人間関係底辺な俺から見れば、それはもうすごいと思う。

思うけど。
成海がある人物から狙われているんじゃないかという話をアイババさんふたりの話を聞いてしまった。平然としていられただろうか、内心とてつもなく動揺と苛つきでどうにかなりそうだったから。

別の部署の白川、さんと言ったかな。何日か前にヘルプ応援で少し成海が担当していた仕事を手伝ったのがきっかけだったらしいが、ヘルプが終わってからもちょいちょい話しかけに来ていた。確かにパーソナルスペースの狭さに定評のある成海と、白川の距離が近くない!?と思う時があった。それは俺もよーく見ていた。だから、名前だって顔だって覚えてしまったんだよ。仕事しにお戻れ。

同時に成海の無自覚さに呆れつつ、正直物凄く苛ついていた。もう少し自覚して欲しい。
贔屓目で見ているのもあるが、まず成海は可愛い。小動物系の顔つきに、スラッとした華奢な体格(貧乳は別として)。先程も言ったが、多趣味のおかげで話題は困らせることはなく、ある程度どんな話も乗ってくれる。仕事のミスはまあ、多い方だろうが、やれば出来る子だから、仕事はちゃんとこなす真面目な性格。
あれ、俺の彼女ってスペック高くない?腐女子なことは置いといて、傍から見たら好物件。そりゃそうだ、付き合えたのが未だに奇跡としか言えないくらいな子なんだよ。

でもさ、その子、俺の彼女だから。

と、思った瞬間、白川の掌が成海の手を握った。

あー、もうダメだわ、一度煙草だ煙草。

ガンッと勢いよく立ち上がり、ガタガタと乱暴に椅子をデスクへ戻した。その様子に宏嵩の周囲は少しザワついた。
その行為とは対照的に、できるだけ顔に出ないように無表情で喫煙室へ向かった。



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あー、もう、この人しつこい。数日前にヘルプで来て、すぐ解散になったのに、なんで今また来てるの?自分の仕事はどうした!?
って言っても、ついヘラヘラしてしまう癖が出てきて、なかなかはっきり断れない。番号教えて、とかもう下心丸出しで引いちゃってるんですけど。

そうしてたら、どうしてこうなったか手を握られてしまった。咄嗟に手を引っ込め、すぐに離したが、白川さんはヘラヘラと笑ったまま。その様子にグーパンしてやろうかと思ったら、花ちゃんが『セクハラで報告しておこうかしら』ってナイスなこと言ってくれたけど、『またまた〜冗談きついですよ』って…いや、冗談じゃないのこっちだから、わたしドン引きしてますけど!?

というか、最初あたりの白川さんが放ってきた話題につい乗っかってしまったせいだ。原因は分かっていた。
こないだ公演開始した舞台を見たと、そのヘルプ仕事の最中に話題として話していたのだ。それがわたしも見たやつで!(腐女子じゃなくても、楽しめる舞台だから)結構幅広い世代が集まってて(腐女子からしたら非公式CPが熱い)、もちろん、推しのために空席を減らしたくて、宏嵩に付いてきてもらう形で1日2回公演を見たんだよ。
って、ココ最近で一番胸熱になったイベントだったもんだから、その話が出た瞬間食いついちゃって。そこから舞台の話で盛り上がって、なーんか妙に馴れ馴れしくなってきた、飲みに行って語りましょうよとか…あれこれまずいかも、って思ったらもう遅かった。ある程度で終わっておくべきだった、とりあえずヲタバレしなかっただけマシかも。

ただ、さっきからってゆうか、白川さんが絡みだした数日前から宏嵩の視線が、まあやばい。めちゃくちゃ刺してくる。あれ、絶対怒ってる。物凄い大魔王なオーラ、びりびり出してるんだけど。あー、ほら、SAN値チェック行ったよ、椅子の戻し方が雑だよ宏嵩くん。苛ついてるの、あれじゃあみんなわかっちゃうよ。
…って言っても、なんで苛ついてるかは、たぶんわたししか知らない。わたしが原因だもんね、絶対。

『白川さんはわたしがどうしかしてあげるから、二藤くんのところに早く行きなさい。』

花ちゃんがそう小さく言って、背中を押してくれたから、わたしは宏嵩を追いかけた。なんてありがたいアシスト。花ちゃんがどうやってどうにかしてくれるかは謎だけど、とりあえずまずは宏嵩だ。この問題は早くした方が絶対にいい。

誤解されたままは嫌だ。わたしの非は認めるけど、宏嵩には誠実でいたいの。



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喫煙室から出ると同時に、宏嵩はグイッと腕を引っ張られた。視線の先には成海がいて、ズンズンと小走りに引っ張って行くもんだから、仕方なく従うことにした。

人が滅多に来ない物置化してる部屋があり、そこにするりと自然にふたりで入った。ここはよく社内恋愛してる人達の密会場所となっている、と前に成海が言っていた。

「なに、どうしたの?」
「釈明しに来たの!」

成海の語尾が強くて、え、なんでおこなの?おこなのは俺だけど、と思ったが、ここはできるだけポーカーフェイスで。
だって、嫉妬してたなんてダサいじゃん。器が小さい男だと思われたくない。…いや、小さいけどさ、白川にだいぶ嫉妬してたけどさ。

「…俺、別に怒ってないけど。」
「そんなわけないじゃん、もう今だって怒ってる。わかりやすいよ、あんな視線でここ数日見られてたら…。」

あれ、今日だけじゃなくて、何日か前からってわかってたの?それは意外、できるだけ平然を装ってたのに。

「はっきりした態度取らないわたしに苛ついてたんでしょ?」

おお、珍しく大正解。まあ、成海だけじゃなくて、白川本人には成海の倍以上苛ついてるけど、とりあえずそこは置いておこう。

「…自覚してたの?白川に言い寄られてるって。」
「番号教えてって言われたけど、彼氏いるから無理です、って断ってるし、それでもしつこいからしつこいですって言っても食い下がらないし…でも、仕事の話もちょいちょい挟んできて、話さないわけにもいかなくて…。」

たぶん愛想笑いしながら言ってたんだろうな、成海からしたらはっきり言ったつもりだったろうが、相手が悪かったのかも。冗談を冗談だと思わない人だったかな。
どんどん声が小さくなっていく。

「…ごめん、これただの言い訳だ。正直、もうどう断ればいいかわからなくて、諦めてくれるの待ってたのかも…。」

成海は俯きながらぽつりぽつりと言った。涙声になってきてたし、成海も自覚があったなら…これ以上やめようかな。

「…俺、簡単に触られるの、結構嫌だったんだけど。」
「うん、それはわたしも嫌だった。手汗すごかったし。」

ゴシゴシとスカートに擦り付ける掌。

「…ごめん、ホントに気をつける。」
「ホントは話さないで、とか言いたいんだけど…まあ、無理だよな、仕事に支障をきたすし。まあ、でも、成海に自覚があっただけ、とりあえず良かった。」

宏嵩の大きな両手が、成海の両手を包んだ。

「え、さすがにあの白川さんの態度には気がつくでしょ、わたしそんな鈍感?」
「…。」

宏嵩は目を逸らして回答をくれなかった。
んー、わたしそんなに危なっかしいかな。…でも、あのお祭りの一件でだいぶ心配掛けたな。気を付けてるんだけどな、これでも。

「本当にごめんなさい。」
「…成海が俺の気持ちわかってくれたなら、それでいいよ。」

宏嵩があまりにもそっぽを向いていて、あからさまに拗ねている様子が珍しい。というか、さっき白川さんの名前、ちゃんと覚えてた。相変わらず相葉さんと馬場さんの違いも微妙なのに…それって相当白川さんに対して嫉妬して、目に耳に焼き付いちゃった感じ?そう思うと…。

「ちょ、なんで笑ってんの?」
「わ、笑ってないデス!」

思わず口元が緩んでしまったのを、宏嵩に見られてしまった。咄嗟に口元を両手で覆って隠した。

「なに、俺の器の小ささに笑えてくる感じ?」
「そうじゃなくて。とゆうか、わたしのこと、全面的に受け止めてくれてるから、器の大きさはずっとでかいなって思ってますよ。」

ヲタクのことも含めて、言ったのだが、宏嵩の耳が赤くなった。え、そんな照れさせること言ったかな?
そう思ったら、結局口元の緩みはおさまらなくて、ふふっと笑いが漏れてしまった。

「…もういい。」
「あー!ごめんて!ホントにごめんなさい!」

成海は慌てて宏嵩に抱きついた。

「ホントにごめん、何でもするから機嫌直して?ね?」

つい出てしまった“何でも”。成海は言ってしまったことをすぐに後悔し、身体をパッと離した。
ふーん、と何か含んで言いながら、宏嵩はジリジリと詰め寄り、成海は後ずさる。結局テーブルに腰が当たり、成海は逃げれなくなってしまった。

二次元であれば、こんなシチュを推しCPがしてたら…もうそれは興奮間違いなし!なんだが、今のこのリアルな状況だと、こんなにもドギマギしてしまうなんて思わなかった。

「成海がどうにかして俺の機嫌直してよ?」

ああ、これはガチなやつだ。恥ずかしさだけで逃げてしまえば、きっとこの気まずさは尾を引きそう。
宏嵩がナニをして欲しいか、もうわかってる。ただ、もう顔から火を吹いてしまいそう、恥ずかしさで熱い。

が、成海はもうヤケクソになって、宏嵩の首元のネクタイをグイッと引っ張る。目を閉じながら、成海は自身の唇を無理矢理押し付けた。宏嵩の目がいつもより倍に開いたかと思うと、少し目を細める。そして、後頭部に右手を添えると、宏嵩も押し付け返した。
もう、それはとても優しいキスだった。

「これでどうだ。」

唇を少し離し見つめ合うと、成海が乱暴に言った。顔が真っ赤になってるであろう、見ないでほしい。こんなに羞恥心満載なキスははじめてだ。

「嬉しい。」

宏嵩は落としたように笑った。あ、これは機嫌が直ってる。

「まあ、でも、まだ足りないかな。」
「え。」

そう言った宏嵩は成海の両脇を掴むと、ヒョイと後ろのテーブルへ座らせた。自然と同じ目線になり、宏嵩の左手が後頭部を掴んだかと思うと、乱暴に唇が塞がれた。すぐに侵入してくる宏嵩の舌。成海の舌へ執拗に絡めてくる。

「ん、ふ…ぅ…!」

成海は反射的に逃げようとしたが、宏嵩の力が本当に強くて逃げられない。たまにできる呼吸、激しいキスにどんどん息遣いもあがる。宏嵩と成海の舌が絡まるたびに、粘着音が静かな部屋にひびいた。

「は、あ!ひ、ひろ…た…!」
「ちょっと黙って。」

薄目で宏嵩を見ると、バチッと目が合う。最初から目を開けたまましていたようで、これまた一気に火照る顔。

「〜〜〜ひ、ひろ…ぁっ!」

成海はグッと声を飲み込んだ。宏嵩の舌は首筋を這ったのだ。
でも、ここはオフィス。壁とドアがあるだけで、今まさに廊下を誰かが歩いてるかもしれない。そう思うと、成海は両手で自身の口元を押さえつけて、宏嵩の与えてくる刺激に耐えた。自然と瞳が潤む。

「成海。」
「〜〜〜んっ!」

耳元で名前を呼ばれたかと思ったら、耳を甘噛みされた。声にならない声がつい漏れてしまった。
そして、宏嵩は左手で成海を抑えると、唇を耳の後ろ側に押し付けた。

「あ、ちょっ、ひろた、か…ーーー!」

静かな部屋にチュゥと吸い付く音が響いた。そして、ようやく成海は解放された。成海ははあはあと荒くなった息を落ち着かせる。

「も、もしかして…痕…付けた?」
「うん、ここに。」

宏嵩は成海の耳の後ろに触れた。びくりと身体が反応してしまった。宏嵩の表情はとても満足そうにしていて、なんだかやられた感でいっぱいになって、正直悔しい。

「髪の毛下ろした方がいいかもね。これだと見える。」
「み、見えるとこに付けないでって言ってるのに…!」
「別に俺は見えてもいいけど、だって、誰かの彼女ってわかるじゃん。」

成海はまたかぁーっと顔が一気に火照った。飄々と軽く言ってのけてるけど、それ相当な言葉!
結構なこと言ってる割に、なんだか余裕そうで…でも、宏嵩めちゃくちゃ機嫌良いな。

「あと、今日俺ん家ね。」
「今日!?」
「頑張って定時に上がってね。バス停で待ち合わせ。いいよね?」

もう拒否権はなくて。成海は小さく、ハイ、と答えると、宏嵩は目を細めて笑った。そして、テーブルにもたれかかりながら、成海の耳元へ顔を寄せる。

「あと、今日帰さないから。覚悟しといてね。」

成海はついポカーンとしてしまった。そんな成海の頭をくしゃくしゃと撫でると、宏嵩は先に部屋を出て行ってしまった。

いいだけ振り回して、言い逃げして行った宏嵩。成海は顔を両手で覆いながら、足をバタバタとぶらつかせた。
今日の宏嵩は、ちょっと…いや、相当男だ。わたしにはアダルト過ぎてどうにかなってしまいそう。

こんな状況、リアルであるなんて!というか、明日も出勤日なのに、今日はどうなってしまうの!?

成海はもう腹をくくるしかなく、とりあえずまずはこのふにゃふにゃに溶けきってる表情を、どうにか引き締めてからデスクに戻らないと。これは絶対花子からのツッコミ回避はできそうにない。



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俺の今の顔ってどのくらい腑抜けた感じになってるんだ?
さっきまでの醜い嫉妬心と苛つきが、まあ、綺麗に消えている。成海が素直になってくれたのはもちろん一番だったが、予想より斜めのあんなキスは相当嬉しくて。プラス、あの恥ずかしがって赤くなって、でも、喧嘩腰にも聞こえる『これでどうだ』は反則だ。可愛いにも程がある。
少しイジメ(イチャつき)過ぎたか。もう少し自重するべきだった、だって、成海の身体の火照りを目の前にして、我慢する方が無理な話だ。そうさせたのは俺だけど。正直もうあそこでめちゃくちゃにしてしまいたかった。我慢できた俺すごいわ!

まあ、とりあえず、白川のことは成海自体も警戒してるということがわかっただけ良かった。ちゃんと俺が嫌なこともわかってくれてたみたいだし…というか、俺って器が大きいと思われてたのか。(成海の趣味のことは半分諦めながらも)成海が好きなことしてて笑ってるときが好きなことは、もう大々的に公言してるよね?これって心が広いことだったのか、俺は素直にそう思ってただけなんだけど。
(成海の推しへの愛が強くて)小さい嫉妬はよくするし、(締切間近なんて特に)あまりにも構ってもらえず実はいじけてゲームに走ってたり…自分では毎回余裕のなさと器の小ささを実感していた。ひた隠ししていたおかげで、成海の中の俺ポイントが減ってなくて良かった。

「二藤。」

後ろを振り向くと、樺倉がいた。

「さっき、あんまりわかりやすかったぞ?」

少し半笑いの樺倉。さっき、と言えば…ああ、煙草前のときかな。

「あー、さすがに俺小さいっすね、気をつけます。」
「いや、あれはさ、わかる。超わかる。俺だってそうなるわ。」

樺倉は宏嵩の肩をポンポンと叩いた。
樺倉自体も遠くから見張っていたようだ。成海、というより、一緒に巻き込まれてしまっていた花子がメインだと思うが、気が気ではなかったようだ。

「根回ししといたから、もうたぶん来ないから安心しろ。」
「え、どうやったんすか?」
「あいつ所属の部署に俺の同期がいるんだが、そいつに頼んで“迷惑してる”ってやんわり伝えておいた。そしたらさ、あいつ、自分の部署でも仕事そっちのけでまあ、あんな感じらしくて、たぶん今頃、上にお灸据えられてると思うぜ?」

仕事しろよって感じだよな、と笑いながら言う樺倉はさらに続ける。

「あと、お前の苛つきに周りビビってたけど、“ゲームの調子が悪い”みたいな、まあ、適当に理由付けといたから、なんか突っ込まれたら合わせとけ。」
「何から何までありがとうございます。」

ああ、樺倉さん神か。間違って拝まないようにしないと。

「…んで、機嫌は直ったのか?」
「まあ、はい、ある程度は。」

素直にこたえた宏嵩に、それなら良かった、と控えめに笑う樺倉。今日はっていうか、これからも本当に頭が上がらない。

「でも、もし、次ああやって絡まれてたら、何とかしたいと思います。」
「お前ならできるよ。」

樺倉は違う部署へ書類を持っていく途中だったようで、その場で別れた。

とりあえず、樺倉さんのおかげで、もうあの顔を(ほぼ)見なくて良くなった。大変有難い。本当なら彼氏の立場として、どうにかしてあげたかったが、そもそも秘密にしている彼氏彼女事情。うまくかわせるか、具体案は思い浮かばなかったが、今度は自分の力で守りたいと、そう思いながらデスクへ向かった。



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「どうやって二藤くんの機嫌直してきたの?」

成海がデスクへ戻ると、白川はおらず、ニヤニヤしている花子に小声で聞かれた。

「え、別に、何にもしてないよ!ちゃーんと謝っただけ。」

できるだけ平常心で。
あの部屋であった一件をできるだけ思い出さないように、絶対花子に聞かれるだろうから、デスクへ戻るまでに言い訳を考えてきた。テンションもいつも通り、いつも通りで!

「ふーん、怪しい〜。」
「別に怪しくないよ、やっぱり素直な謝罪が一番でしょ!」

花子の納得は結局もらえなかったが、優しく笑いながら、良かったじゃない、と言ってくれて、ああもう花ちゃん好き!となってしまう。

「まあ、でも、彼、とても機嫌が直って、気持ち切り替わってるみたいだから、つい笑っちゃったのよね。」

クスクスと笑いを堪える花子の視線の先を、成海も追う。宏嵩がもうこれでもかと思うくらい、仕事をバリバリにこなしている。
…定時で上がらなきゃいけない理由があるからだ、と成海は思い、先程のことを思い出してしまいそうになった。
が、わたしも仕事しよ!もう考えたらまずい、絶対顔に出てしまう!

「あら、成海も随分張り切るわね。」
「いや、ほら、お詫びとして、今日宏嵩におごることはお約束してさ!」

自然だったか不安に思ったが、とりあえず花子は納得してくれ、わたしたちも負けてられないもんね、と付け加えて仕事を再開した。

ああ、もう、宏嵩があんなこと言うから、手元が狂う。残業だけは避けなきゃ、せっかく機嫌が直ってるんだ。
…でも、宏嵩ん家に行ったら、わたしどうなっちゃうの?

成海はガバッと書類へ向き合う。考えないように、今はとにかく仕事!成海は自分を鼓舞させて、残りの書類を片付け始めた。



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定時きっかりにスマート退社する宏嵩が見た成海は、仕事はちゃんと終わってるのに帰り際に捕まってしまったようだった。たぶん、明日の業務連絡だろうから、遅くなることはなさそう。それを横目に見ながら、宏嵩は、お先です、と最低限の周囲に言って、バス停へと向かった。

バス停の近くのベンチに座り、陽が落ち始めた空を見上げた。
今日の俺はとにかく感情の起伏が激しくて、自分でも珍しかったななんて思う。
成海はこれが平常運転だから、見てて飽きない。大好きな新作スイーツを食べたときの笑顔とか、推し(♂)が彼氏と喧嘩してしまうエピを悲しそうに語る表情とか、貧乳と馬鹿にしたときに結構ガチめに怒るところとか…まあ、あとはセックス中のあのとろけきった甘ったるい表情とか。
そういうことは彼氏である俺の特権だと思う。樺倉さんや小柳さんへももちろん見せる表情はあっても、俺しか知らない成海は俺だけの成海。

付き合いたいと思ってしまってから、時間を要して、ようやく彼氏というポジになれたのだ。易々と逃すもんかと思いつつ、でも、どこか不安で自信が無い。
成海は俺の器が大きいと言っていたけど、(そりゃあ嬉しかったが)俺自身そんなまさかと思っている。

この独占欲はどんどん溢れてしまってるから。

成海のことはもちろん信用している。あんな男になびくわけもなく、単にいつものヘラヘラが発動して、上手に断れなかった、ただそれだけ。
なのに、自分の中の…劣等感なのか。ずっと人と極端に関わらなかったことで起こる、対処しきれない事項。ゲーヲタ廃人な人間関係極薄な俺より、(やかましくても)周りと自然に馴染める、一般的なああいう男の方がいいんじゃないのか?

もう、何度こうやって無限ループしてんだろ。考え出すと止まらない、自信が皆無なせい。

そういう考えを払拭するのは、やはり。

「宏嵩!」

走ってくる笑顔の成海。呼ばれた名前に一気にこころが躍る。
躓いて、よろけた成海を間一髪で受け止めて、つい抱き締めてしまったが、人目を気にしないでいいや、なんて開き直って、ぎゅう、とより強く抱き締めてしまった。
自分の腕の中にすっぽり包んだ愛おしいこの子を抱き締められるのは俺だけで、離してやらないと、そう思った。



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帰り際に業務連絡で捕まってしまって、宏嵩が退社したのを横目で見ながら、早く終われー!と思っていた。
あの部屋での出来事はちょいちょい思い出しては、いや集中!と繰り返して、それでもなんとか残業は避けれた。バス停で待ち合わせ、とは言っていたが、てっきり一緒にバス停まで行けるものだと思ってたのに。

今日までの数日間のことは、やっぱりわたしに非があると認めざるを得なかった。もっとはっきり断らなきゃ、ああいう人は諦めてくれない。こちらの愛想笑いを、愛想笑いと思ってくれずにそのまま受け止める人なのかも。それはとても厄介だから、最初っからちゃんとはっきりしておけば宏嵩が嫌な気持ちになることは避けれただろうな。

あんなにあからさまな嫉妬ははじめてだ。いや、妬かせたかったわけではないが、態度がもろに出てたから、正直ヒヤヒヤしてしまった。付き合っていることがバレてしまえば…まあ、そのときはそのとき考えるとして、それよりもガチギレ寸前の宏嵩の凄みったら半端ないからな。もう周りドン引きしちゃう。いつものポーカーフェイスはどこへ行ったんだ。

…失くしたのはわたしのせいか。

それを失くすほどに”俺の彼女“という独占欲が前面に出ていたことが、それはもう本当に驚いた。わたしの独占欲もさながら、宏嵩に愛されてる感がとにかく酷く伝わる。

これは彼女として、最高じゃない?
怒らせてしまったことは棚に上げちゃって、まずはいつも以上の宏嵩の想いを大事にしたい。
そして、やっぱり宏嵩に早く会いたい。

(宏嵩!)

小走りにバス停へ向かうと、見慣れたスーツがベンチに座って空を見上げていた。いつもは隙間時間のゲームは欠かさないというのに、今日はどうしたもんか。やっぱり何かしら企んでるのかな。
そう思って笑ってしまったけれど、それ以上に宏嵩を見たら自然と顔が緩んでしまう。

「宏嵩!」

名前を呼ぶと、宏嵩が少し笑ってくれたように見えて。そうしたら、油断して躓いて、あ、これヤバイ。
と思ったら、宏嵩がナイスキャッチに受け止めてくれた。ありがとう、と言おうとしたら、人目を気にせずぎゅう、とされてしまったので、あまりの驚きで言葉が出なかった。ここ公共の場な上に誰が見てるかわからないリスクもあって…なんて思ったけれど、宏嵩とのハグはなんでこんなに安心するんだろうとも思って、結局お礼を言うタイミングを逃してしまった。